勢いで書きました。こちらも闇鍋です。  わが心の庭にばらの花さく    仲間とともに転空魔城をあらためた折り、フォルカへと継承されるものが数々と姿を見せた。  覇王の座を勝ち取る、ということは、それに伴う権限をも手中にする、ということだ。有形のもの、無形のも の、今まで知らなかったもの。王やその許しを得た者にしか触れ得なかったもの。彼が望むなら、扉はすべて開 かれた。  だが彼は、まだ修羅王を名乗らない。  フォルカには、自身はその称号には未熟だ、との思いがある。若い彼らでは知らないことが多すぎた。何と言っ ても、下級の戦士から一足飛びに頂点に登り詰めたわけである。それゆえに、統治というものの実際を、誰かを 従えるということの意味を、経験すべきひとつひとつの段階を、知ることなくここまで来てしまったのだ。  そして、どういう名で呼ばれようとも、共に道を歩む者として在りたいと密かに望んだとしても、彼が新たな 長として次代を託されたのには変わりがなかった。責務というものを無視は出来なかった。  ならば時代が次へと移る前に、物事のやりようを、自ら求めて身に付けねばならない。  幸いなことに、かつて下級の地位では触れ得なかった文書も、今では自由に参照できる立場だ。そう思い立っ た彼は、まずは書庫に足を向け、かつては禁じられていた最奥の扉を開いてみることにした。  ○ ○ ○  そこは保管のための一室。生半な身分では立ち入りを許されなかった場所だ。  世界崩壊の難を逃れて持ち込まれた紙の束もあれば、古の技術を用いた薄い金属盤もあり、中には、瞬転当初 から『ラディ・エス・ラディウス4』に備わっていた記憶結晶まで置かれていた。 「断片的なのが残念だけれど」  エリはそう前置いて、解読できた内容をプリントアウトして渡した。彼女たちがここに居るのには理由がある。 筆頭科学者が亡き今、分析力は地球の科学者が頼りだったりするのだ。  とはいえ、最初から当てにしていたわけではない。ものの弾みである。  ふとした機会に他意もなく、城の様子を口にしたことがある。だが、それが博士たちの耳に入った。どうやら、 この話題には、科学者魂をひどく燃え上がらせるようなものがあったらしい。で、気が付けば、当の修羅たちを 差し置いて、ぶっちゃけ別に頼んでねーのだが、有無を言わせぬ勢いで『協力プロジェクト』が着々と進められ ていたのである。下心とゆーものは驚くべきバイタリティを生むものらしい。まあ有り難いからいいけど。  ともあれ、そういうわけで。ラドム博士の冷たい視線で見送られて。  今、数人の博士たちが、この転空魔城にて奮戦中である。開架のエリアと保管庫の両方に人が行き交う。護衛 や助手(←非ラドクリフ)を含めると10人ほどになろうか。人員のほとんどは手を休めること無く解析作業に没 頭している。  だが、ふとした時など、カザハラ親子が通路に顔を出して、報告を持ってきた修羅のお嬢さんを口説いていた りする。戦乙女たちのほうもこーゆー手管は勝手が違うらしく、うっかり頬染めたりして、退散しつつもまんざ らでもない様子。ついには自由戦士も加わって、女修羅兵攻略法を語り合い、気が付けばすっかり意気投合する ことに。──結局は見とがめたメイシスに分厚い本のカド(金属補強)でド突かれるのだが。  一方で、そんな露骨なサボり方はしない場合もある。カークがその例だ。いつの間にか解読作業を打ち切って いる。今の彼は、仕様書片手に、溢れんばかりのEOT施設群に心踊らせている。 「よし。一度は、研究者の目で見ることも必要だな。」  とかなんとか、それっぽい台詞を口にして、立ち上がったハミル博士。返事のないのをいいことに、機材一式 を抱え上げ、すっかり資料室を抜け出す体勢である。支度をしながら目を向けた。その視線の先には、たまたま 居合わせた青年が一人。瞬きひとつほどの間。青年は立ち上がる。護衛役だ。 「ああ博士、荷物半分持ちます」 「それには及ばんさ。第一、護衛の手を塞いでは本末転倒だ」 「俺、蹴りの人間なんで平気ですよ」 「いや、機器を落とされても困る。自分のミスならまだ許せるからな」 「わかりました。じゃ、その分しっかり護らせてもらいます」 「頼む──では、特になければ、私は行かせてもらう」  青年の向こうから、カークが声を掛けてくる。申し訳程度の最終確認。  いいのか、という視線が集中する。が、彼を止めはしなかったフォルカである。マイペ−ス過ぎる行動ではあ るが、それはそれで助かるのだ。不可思議な構造体はまだ城内に多く、そのどれもが重要な機能を果たしている。 思惑ありとしても、カークが何かを突き止めれば、それはむしろ願ったり。いいやいいや。行かせちゃえ。  ただ、念のため。 「その前に、これを」  さらさらさら。ぺたん。  略式ながら、フォルカは覚えたばかりの勅書を書いて、渡す。軽い目礼が返ってくる。  全域に話は通してはいるが、条件反射的にケンカを売る輩が居ないとも限らない。悲しいけど。だが、金銀の 箔に彩られたこの書面ならば、『目に入らぬかー!』効果が期待できる。門鑑として使えば、行く先々での要ら ぬ問答も避けられよう。それほどに、敬礼をもって迎えられさえする(らしい)この勅書である。いくらなんでも 『上様の名を騙る偽(中略)切れい、切り捨てい!』とゆーような展開にはならないだろう。うん、何とゆーか、 そこまでのひでー筋肉脳味噌は居ないと希望する。信じよう。  ほんのり溜め息ひとつのフォルカ。見送った足音が通路に消える。とりあえず、それなりに腕が立つっぽい男 が一緒だからこれ以上博士の心配はしない、ということにした彼である。  なんとなく静かになった空間で、ぽつりラミアが呟いた。 「ところであの青年、見ない顔でありやんしたが」 「さあのう、じゃが……ふうむ?」  顎に手をやるリシュウ先生。何か思うところがあるようだ。カ−ク達の出ていった扉をしばし見たまま。  マサキも、何か思い出そうとしていたようだが、叶わなかったらしい。  そうしているうちに、やがて書庫には作業音のみが満ちる。  ○ ○ ○  文書に囲まれた空間で、いくつかの光景を重ねた頃。  フォルカたちは、何種類かの興味深い資料にも遭遇した。  一つには、かつての修羅界にわずか存在して居たオアシスの記録である。  例えば澄んだ泉。耕地。草花。益をもたらす鳥獣。集められた人間。それらは所有され、支配されていた。だ が、その一方、無闇な暴力にさらされていたものは少なかったようだ。  ぱらり、と紙を繰る音がひとつ。 「……端的には、荘園だな」  壁際から、誰にともなくギリアムが言った。何人かが頷いたよう。カザハラ親子が小声で何かラミアとやり取 りしている。ラクイチラクザが云々。地球のどこかの歴史らしい。ふと思い付いて、妙な部分で博識なアリオン に目で問うてみるが、さすがに彼も肩をすくめてみせる。さもありなん。そんな時間などなかった。  だが、荘園という言葉はフォルカにとっても既知のものだ。 「逆らわない限りは自由、ってことニャのか?」 「そんなトコだろうね。ま、あたしはそーゆーの御免だけどさ」 「でも、命有っての物種って気持ちは分からニャいでもニャいのよね」  妙な声音が二つと、もう一つは多分リューネの声で、そう聞こえる。フォルカも近い意見だ。  戦士は、常に自らの闘技に誇りを持つ。一対一の死合こそが至高、烏合の衆の返り血などいっそ拳の汚れ、そ う考える。だからこそ逆に、一部の力無きものは、無秩序な蹂躙よりはと、時に望んで彼らに頭を垂れた。強者 の所有物という烙印は、雑兵どもの狼藉をいくらかでも押しとどめることが出来たという。 「──だが」  大きな声ではなかった。  書棚の裏で、地球から運び込んだ段ボールにいっぱいの本を詰めて、アクセルが立ち上がるよう。 「だが、対等ではないギブアンドテイクでは搾取にしかならん、これがな」 「手ッ厳しいねえ、『でぃやーの人』は。さらっとそういう台詞が出るあたり、場数だな」 「ええ、自由さん」  見れば、向こうで残存思念を探っていたアルフィミィが、ふっ、と転移して来た気配。 「お、エグリのお嬢ちゃん。場数の話かい?」 「はい。あー見えて『でぃやーの人』もわりと頑張り屋さんだったりしますの」  ばさばさばさ。  どっか作業机のあたりから、派手に印刷用紙が落っことされたっぽい音。 「っていうか、実はアクセルは『でぃやーの人』でなくて、『でぃぃぃやっ!の人』なんですのよ?」 「ほおう」 「ですから私からも、その辺りの配慮をよろしくお願いしますの♪」 「いや、願われてもさ。なあ、『でぃぃぃやっ!の人』さんよ?」 「……逐一ツッコむ気はない、俺は」 「うふふ。スルーもまた、ある愛の形ですの」  がたん。  なんだか脚立を踏み外したような音が、柱の影で。 「なんか、その……頑張るんだな」 「なぜそこで目を逸らす貴様」  一画でのそんなやりとり。  もう何の物音も起こらなかった。代わりに、なんともいえない脱力感が部屋の隅々にまで満ちる。立てるとも なく聞き耳を立てていた皆も、哀れみの念を密かに向けつつ、さりげなく明後日を向いたらしい。 「ともあれ、現段階での見解だが──」  再びギリアムが口を開く。一同注目。  彼の手元で、ぱさぱさ、と紙の束が音を立てた。整理半ばのものだろう。 「我々では、修羅界の固有名詞に通じていない。それでは重要度の判断を誤る恐れがある。よって、最終的な チェック作業は君たちの自身の手で行ってもらいたい。当然、事前に可能な限りの整理してはおくつもりだが」  上げた視線が、どうだろうか? とフォルカたちに問いかける。  数瞬、代案の可能性を考えてみて、やめる。 「……分かった。ありがたくその提案を受けよう」  是とする言葉とともに、頷いてみせた。異論はないようだった。  ○ ○ ○  食事から帰ると、『しごと』が上がっていた。  内心、マジですか!? である。『ジョウホウブ』の二人は、もう他の作業に移ったらしく、姿は見えなかっ た。驚きつつも、一番近くのものを開いてみる。  整理された資料は、とかく読みやすいものだった。元々の書物に欠けがあったため不完全な内容だが──不作 為に積まれた断片を拾い上げ、纏め上げたことを考えると、並の感謝では足りないだろう。『ジョウホウブ』と やらの手腕は、まことに見事である。  続いて、ファイルの背表紙からこれといった内容を選び取り、目を通してみる。    かつての修羅界においても、少しはまともな生産活動が行われていたらしい。産業と呼ぶには小規模だ。だが、 制約と保証の危うい均衡の上に、暮らしというものが成り立っていた。納めるものさえ納め、従うべきことには 従い、別のもので紛らわすことを覚えれば、飢えることも凍えることもない生き方だった。  これらの記録を回し読んでいたところ、フェルナンドなどは、 「くだらん生き方だ」  との一言で切り捨てた。だが、そこに在ったものたちが不幸であったかどうかは、今はもうわからない。    そのうちに気が付いた。段ボール箱の一つに意味ありげな印が付いている。開けてみた。 「やべ、作戦ミス」  あんまり彼に責任はないのだが、横でアリオンが肩をすくめた。優先すべき(と判断された)文書はそこに固め られていたようだ。はじめに開封した箱の影になっていたたらしく、今まで蛍光色の文字に気付かなかったので ある。だが、あまり長いこと後回しにしていたわけではない。まだ取り返しの付く話だ。 「すまない、一旦片付けてこちらを読もう」  返事代わりに舌打ちしたのは、フェルナンドだ。だが、無言で箱の中身を引っ張り出す。表面的にはどうあれ、 非常時にはそれなりに協力的なのがこの義兄弟である。物事の優先順位がアレなだけで、基本的に良いヤツなの だ。 「何を見ている」 「何でもない」  きれいに並べられたファイルの背を読んでゆく。地球式の整理法にもそろそろ慣れた。一冊を引き抜く。  ぱか、と厚紙の表紙が鳴る。 「では、俺はこちらから手をつける」  どうやら、フェルナンドは逆端の一冊を取り上げたよう。わずかに応えておく。やり取りはそこで一旦途絶え、 ぱこり、と机の向こうで音がする。間もなく、数冊分のファイルの音が続いた。そして、紙を繰る気配。  静寂。  フォルカの手にした資料は、転空魔城内の生産プラントについて書かれたものであった。方舟の本来の住人が 造り上げたものもあれば、ミザルが手を入れたものもあるようだ。  しばし文字の列を辿っていれば、白い紙の上にふと影がさした。メイシスだった。 「見覚えがあるな、この形状」  そうかもしれなかった。唯一の生き残った将軍だ。彼女ならば、この場に居る誰よりもそういう機会があった のかもしれない。フォルカは、彼女の答えの続きを待った。 「カ−ク殿が足を運んだ、あのカラクリたちの一つだと思うが」 「…………あ。」  傍目からも判るほど、フォルカの顔が動揺する。ぶっちゃけ忘れてたんですけど。つーか報告来てないんです けど。何やってんですかカークさん。そもそも良く考えれば、あれから、2回ほどメシを摂っても良いよ−な時 間が流れてんですが。何つーか、生きてんだろーな、おい。あと護衛の青年も。 「そ、そうだったな!博士だ!」 「よし。取りあえず伝令走らせるより早いし、使ってみっか」  言うや否や、アリオンのお家芸・『四次元ジャケット』が久しぶりに披露される。懐から出てきたのは、文明 の利器、その名もDコン。ちなみに通信網も即席ながら準備万端。実はすでに作業効率の面でけっこう活用され てたりするのだが──修羅に携帯端末が普及するには、まだ、しばしの時を待たねばならない。  ともあれ、いつの間に使い方を覚えたものか、キー操作の指先も軽やかに。 「音声通信モード、っと!」  呼び出し音。  呼び出し音。  呼び出し音。  呼び出し  ……しても、出やしねーのはどうしてだ。よもや機械の隙間で圧殺事故とかじゃないだろうな、おっさん。  と、タイムアウト。自動切断されたらしい。無情な電子音が単調にしばし流れ、やがてそれも途絶えた。  空気が凍り付く。色んな意味で。 「ふん」 「不様な」  ついにメイシスとフェルナンドが絶対零度の視線を向けた。危うし自由戦士。 「よ、よしOK! 話し合おうぜ! 通じるのが分かっただけでも収穫だろ!?」 「黙れへっぽこ」 「失望したぞ」  冷や汗で無駄に仁王立ちするアリオンに、言葉の暴力が突き刺さる。  うん、皆さん、なかなか平和的でよろしい。いきなり拳が飛ぶのに比べれば遥かにマシな光景だ。つまり進歩 だ。進歩し続ける限り、修羅の未来は明るいのだ。ええ、明るいに決まってるじゃありませんか奥さん。  ほんのり、溜め息。 (兄さん、俺、負けません……!)  熱い思いを抱き締めて、天井に描かれた装飾の星をきりりと見上げたフォルカである。地球から見えるのとは 違う星座がきらり光る。嵌め込まれているのは硝子玉だけれど、悠久の銀河がそれを通して見える気がして、心 強かった。  気合いを入れ直した。諦めない。諦めたらそこで死合終了だ。気を取り直してファイルを閉じる。  ぱたん。  はっとしたように注がれる視線の中、フォルカは言った。 「──行こう。元々あちらへは足を運ぶつもりだった」 「そうだな。その箱ごと持って行きゃ、たぶん問題ねえだろ」  すみやかに察した自由戦士である。軽やかさが身上、とばかりに該当資料の箱を抱えた。あるいは汚名返上の つもりかもしれない。ともあれ、良い手際である。ふと思い付いた感じで、ひょいひょい、と他のファイルも数 点選り抜いて重ねる。念のため、というやつだろう。  そんな変わり身ぶりに顔を見合わせていたフェルナンドたちも、流れのままに作業に加わる。出土品の箱を確 かめる。楔形文字がほのかに明滅する欠片やら、マジックアイテムめいた四角錐やら、玉虫色の宝珠やら、遺跡 の動作に関わるっぽい物体の数々である。概要は添付されているようだが、それにしても、判別は…… 「ええい面倒!」  あ。やっぱりか。  すくっ!と箱ごと抱え上げたフェルナンドを、生暖かく見るフォルカである。まあ自分も人の事は言えないの で指さして笑ったりはしない。大雑把にチョイスした段ボールをそのまま二つ三つ担ぎ上げる。見れば、メイシ スはメイシスで、いくらかは丁寧に扱っているよう。だが結局、思い切ったように数個の箱を抱えて立った。  そして、いざ出陣の時。  ちょっとした引っ越しクラスの荷物の多さである。だが、さすがに修羅の肉体自慢にかかっては、この程度の 荷物は余裕のよっちゃんなのだ。象さんも麒麟さん(←非アクセル)も、まるで形なしの大移動。  ○ ○ ○  資料に従って区画を進めば。  言及されていた通りの、衣食の糧を生成する領域を確認することが出来た。未知の素材の構造体が幾つも並び、 その隙間を縫うように運ばれるのは、皮膚のない獣、に似た肉の塊。巨大なフラスコ(?)の中では、身体に悪そ うな光を浴び、うぞうぞと伸びる菜っ葉たち。ってか、これ、こないだ炒めて食ったんですが。  とにかく、なんとも言えない光景だった。だがカークに言わせれば、これが正常な動作だそうだ。    余談だが、博士が通信に応えなかった理由は、実に些細なものだった。彼は、単に『知らん番号には確認して から出る』という習慣を行っただけなのだ。つまり、昨日の今日に端末を使い始めた誰かさんの番号なぞ登録さ れてるわけもなく、いつもの感覚でうっかりスルーした、という次第。誰が悪いという話ではない。ある意味、 みんなが少しづつ悪いのだ。  だが、そこで不用意な発言をして八つ当たりされるのが自由戦士である。先刻と同じように、冷たい言葉を浴 びる羽目に陥っていたり。……もしかすると、あえてそういう役を演っているのかもしれない。だが、確信には まだ至らないフォルカなのだった。  ○ ○ ○  取り残されて、受けた説明を反芻する。  聞けば、運用方針に通じていた者が、統括者が還らぬ身となってから今まで、この機構を動かし続けていたの だという──停止命令が無かっただけだ、というのは微妙だが──そこはそれとして。悪い結果を導くものでは 無く、お蔭様で、転空魔城が生活物資に困るということはなさそうだった。質はともあれ。  目前で空気が低く震える。それらは、思いのほか立派なカラクリだった。多く、大きく、巧みであった。  しかしながら、規模でこそ予想外ではあったが、それ程の産業区画が存在していたという可能性は、以前から も薄々ながら感じていたことである。いくつかの寝食をこの方舟で重ねれば、それは自ずと出た疑問だ。  王や軍師よりの賜り物の数々。どこからか流通する品々。  絹の織物。珍貴な香油。河も無いのに手に入る魚。淀みのない大気。  考えてみれば、金属だか石だか良く分からない素材に覆われた場所ばかりの、この転空魔城なのだ。点在する 土の地面など、ほんとうに申し訳程度だ。たったそれだけの土地からどれ程の糧を得られるものだろうか。  誰かが、そういったことを為したのだ。真意が別の所にあったとしても。    ごぅん……と、またひとつ、カラクリが唸り声を上げた。    フォルカたちは、迷路のような紋様を浮き上がらせる壁面を見上げた。  手にした冊子は書物というよりはいっそ業務日報だった。それは、誰かの功績を声高に主張するものではなかっ た。だが、形式的な文体の中に知られざる実情を読み取らせる記録だった。  転空魔城の生命線が誰によって保たれていたか。  尽力。そう呼んでも構わなかった。  そして、記録はあくまでも記録だ。同様に、語られた事実もまた出来事の全てではない。  もはや当時の光景のありのままを目にすることは叶わない。推測で細部を埋めるしかないのだ。どのような想 像外の事実が眠っていたとしても。  とはいえ、彼も修羅、我も修羅である。  自在に衣食の糧を生むこの機構とて、桃源郷などを目指したものではないのはよく分かる。  私欲や、権勢の証としてや、あるいは被検体としての視線を向けていたのは、分かっているつもりだ。    だが、それでも、忘れ得ぬ光景がある。    閃光の間には、覚えている限りどんな時でも、花の活けられた器が絶えなかった。  一介の兵士でさえ、きらびやかな恩賞を幾度分も投じてただ一輪の希少な花を求めることがあったという。    調整した修羅神のかたわら、検証の一環よ、と鳥籠を置いた軍師。  やがて生気の尽きる小鳥。無言で紙に包んだその横顔が、刹那、苦笑いを浮かべたのは錯覚か。  後で聞いた。土のある場所に何かを埋めていたらしいと。だが結局、何も確かめることは出来なかった。    食糧を積んだ蔵で鼠狩りをするビョウが、いつぞや、仔に乳をやらなかったことがある。  目もまだ開かぬ仔ビョウに乳に濡らした布先をうまく吸いつかせたのは、確か、重震の将軍ではなかったか。  こんなんじゃ食ってもしょうがねえ、しっかり働いて恩をかえせ、などと腹を揺らせて笑いつつ。    生き物くさい試育室の片隅。簡単に誂えた台の上。放置されて変色した、丸められた紙屑。  広げてみれば、変震と呼ばれ損ねた男の筆跡である。実験体の経過報告の下書きであると見えた。  書き留められていたのは、地を這うばかりの蟲がある日を境に薄翅を色とりどりに広げてみせる様。  走らせた筆の勢いのあまり中途から裂け、そのまま打ち捨てられていた一枚である。      そして、城内を調べて辿り着いた、王の薬草園とよばれる場所である。  転空魔城の生産施設の最奥、八畳ほどの空間に、およそ薬とは思えぬような花々。    側近の誰かが口にした。これは薬効ある精油を採る為にあるのだと。花から、あるいは実や種からも。  だが、フォルカもフェルナンドも知っていた。そうではない。それだけではない。    幼き日、兄達が土産にした草花の種。修行と実益を兼ねて耕した土。  つましい畑から芽生え、再び花開き、実を付けて、種となって戻って来る異国の緑。  そのようにして命が一巡りして、撒いた時よりも増した種が得られる度ごとに、無邪気にもアルカイドに献上 したのは遠い昔のことだ──当時は、なんかどえらい強いすっごいおっさん、くらいの認識だったものだから。  しかし、そんな渡した本人ですら忘れていたものの数々が、この薬草園にこうして息づいている。同門のすで に亡き友と連れ立って献上した(と記憶する)地を這う赤い実の蔓もそこに見付けた。自分たちのささやかな耕地 よりも立派な実りを見せているようにさえ思えた。  生い茂る葉が、もとは空調であろう微風に揺られる。濃密な生きた土のにおいがその場には満ちていた。  見れば、つたの葉に埋もれた柱の一本に、刻んだ文字があった。  目配せが行き交う。  代表して、フォルカが歩み寄り、幾重にも絡んだ緑をかき分けてみた。見覚えのある石の素材は、かつての居 城に使われていたものだ、とぼんやり思いながら。  緑の合間から垣間見えていた碑文が現れるまでに、そう時間は掛からなかった。現れた瞬間、居合わせた全員が息を飲んだ。 『ここを訪れし若人よ、君達に未来を託す』  そのように書かれていた。  王にしか立ち入ることを許されなかったこの一画に遺された、この短い文字の列。いつ来るか分からない誰か へ、永久に訪れないかも知れないその時へと向けられた言葉である。  頭上には天蓋のように枝葉が広がり、葉擦れの音を除いては、静寂だった。  ほと、と何かが頬を打った。虫だ。豆粒みたいな赤い身体に黒い斑点を背負って、ごそごそと指の上を這い回っ ている。手を差し上げてやるとそのまま爪の先までなぞって行って、考え込むように歩みを止め、しばし触角を 上下させていたが、不意に思い立ったかのように半球形の背中を開いて、翅を広げて飛んでいった。  追い掛けるようにして行方を見た。陽光を模した照明が透して見える。まるで木漏れ日だった。  目前にあるのは、我も知る彼も知る、懐かしい故郷の草木たち。  ──いつの日か。  銀河の果てで辿り着いた地がたとえ砂礫に覆われていても、視界を一杯に染めるこの緑たちと共にならば、新 天地で迎える明日もきっと、たぶん、悪くはない。そして、みんなが一緒ならば、どんな辛苦の道のりだって越 えてゆける。そんな気がした。  フォルカは、胸一杯に緑のにおいを吸い込んだ。おのずから思いは駆け巡る。     ありがとう、そして、さようなら。  理解り合うことはついに出来なかったけれど、貴方たちのことはけして忘れることが出来ない。